トップページバックナンバー儀礼文化歳事記2003年1月




儀礼文化歳事記2003年1月



霧島神宮御田植祭(鹿児島県)

 御祭神瓊瓊杵尊が天孫降臨の際に皇祖天照大御神より三種の神器と共に斎庭の稲穂をお授かりになり稲作を始められた故事により、五穀豊饒と国家の安泰を祈る神事で、旧暦二月四日に斎行される。
 本宮での祭典の後に、斎庭で氏子青年が椎の大枝を東西より持ち込み、またとまたとを掛け合わせて引き裂く。引き裂かれた小枝を肥料としてまくと、仮面の翁・媼が仮面を着けた牛を引き出し、あやつりながら鋤き耕す仕草をする。その所作の面白さに参拝者は笑いの渦に包まれる。
 その後に神職が種まき、早苗植えの所作を行い豊作を祈願すると、いよいよ「田の神さあ」が登場し、方言をまじえながら口上を述べ豊穣が祈念される。
日豊本線霧島神宮駅下車
(高橋弘平)

阿蘇神社踏歌節会(熊本県)

 例祭の御田植神幸式(七月二十八日)で謡われる田歌の謡い初めの儀であり、阿蘇神社の年頭儀礼として位置づけられている。
 旧暦一月十三日に行われ、御田歌保存会会員約五十名が集まり、神社では「正月殿」、宮司の阿蘇家屋敷では「御所の鶏」という曲を謡う。前者は正月を、後者は貴顕の御所の鶏を歌ったもので、室町時代に幕府などで行われていた歌い初め式同様、目出度い言葉で、正月を祝い繁栄を寿ぐものである。中世の記録では足踏みをともなう所作が記されていることから、予祝としての性格も注目される。
 昭和五十七年国指定重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」の一つ
豊肥本線宮地駅下車
(池浦秀隆)

吉田神社節分追儺式(京都府)

 中世を代表する神道家に吉田兼倶卿がいる。反本地垂迹説を掲げ、吉田山中腹に国常立尊を中心に天神地祇八百萬の神々を奉斎する大元宮を創建した。
 この兼倶卿の唯一神道の成立と唱道は神道界のみならず我が国の宗教史にも大きな影響をもたらしたと云われる。
 元来、吉田神社は藤原氏一門の隆盛と平安京の平穏とを願い、宮城の表鬼門に当たる吉田山山麓に四条中納言山蔭卿により建立された社であり、二十二社にも列した。しかしながら応仁の乱を期に当神社の信仰形態は一新された。
 平年節分祭は二月二日早朝、大元宮に於いて門外に向かっての疫神祭より始まる。大まか現在の厄除け信仰と節分祭は大元宮の創建と厄塚の設置とに由来する。
 厄塚は、毎年一月二十五日大元宮神殿向拝前に奉製し、作り方については大元宮創建の文明年間より口伝にて伝承され、疫神を招き鎮める為といわれる。近年に至るまで、節分参詣者はこの厄塚を撫で、厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により八百萬の神々の感応を願い一年の健康を祈っていたが、追儺式中心の報道や時流の中この信仰も少しずつ薄れつつある様に思われる。
 追儺式は疫神祭同日夜六時本社前にて執り行われる。疫神を駆逐する黄金四つ目の方相氏が鬼を追う神事で、中国皇帝の神話に起因し宮中神事を再興したものである。
 尚三日節分当日は当日祭と、夜十一時火炉祭が執り行われ終日人波に覆われる。
バス東一条停留所下車
(澤井隆男)




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